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Jewelry Hunting Book
「女の存在論の革命 著:細谷みゆき」

「権力とは状況の定義権である」
冒頭の一節についての注釈・参照文献

<注釈の補足にあたって>

小川のブックレットに私が文章を寄せた当時、その重要性にもかかわらず、引用元を明記することを断念した一節があります。今回、機会をいただきまして、引用に際して参照した文献と、関連情報を補足させていただきます。ブックレットの公刊から時間が経ってしまいましたが、ご関心をお持ちの方の参考になりましたら幸いです。

2025年3月1日 細谷みゆき

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注釈:

この一節は、カウンセラーである信田さよ子が、著書『加害者は変われるか?』*1にてミシェル・フーコーの言葉として紹介しているものである。筆者の調べてみた限りでは、これはフーコーからそのまま引用したものではなく、信田が要約的に換言したもののようである。信田による「DV 人はいかにして『当事者』となるのか」*2という論考に解釈の過程が述べられている。参照されているフーコーの文献は『性の歴史Ⅰ 知への意志』で、その第4章2から「権力とは、一つの制度でもなく、一つの構造でもない、ある種の人々が持っているある種の力でもない。それは特定の社会において、錯綜した戦略的状況に与えられる名称なのである」*3という箇所が引用されている。信田はこれを敷衍して「権力とは状況の定義権である」という一節を導いている。

導出の過程は以下の通りである。

「これ(引用者注:上記引用のフーコーの一文)を家族に当てはめてみよう。殴って力で押さえつけることそのものが権力なのではなく、それを暴力と呼ぶことを禁じ、『愛情』『しつけ』などと定義することが権力である。ある状況を名づけること、そしてそれ以外の定義を許さないこと、これこそが権力だろう。つまり権力とは『状況の定義権』のことである」*4

なお、本論考末尾に付された注において、信田は「状況の定義権」というコンセプトは社会学者の上野千鶴子に大きく負っていると述べている。上掲の換言のプロセスに、上野がどのような形で関わっているかについては、今回は、明らかにすることができなかった。

参照文献:

*1 信田さよ子『加害者は変われるか?』(ちくま文庫、2015年、p.111)

*2 信田さよ子「DV 人はいかにして『当事者』となるのか」、『世界』2002年5月号(岩波書店、2002年、p.169-179)所収

*3 M・フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』(渡辺守章訳、新潮社、1986年、p.120-121)

*4 信田さよ子「DV 人はいかにして『当事者』となるのか」、『世界』2002年5月号(同上)